注文の多い料理店
宮沢賢治
二人の若い紳士が、すつかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴか/\する鉄砲をかついで、 「ぜんたい、こゝらの山は 「 それはだいぶの山奥でした。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちよつとまごついて、どこかへ行つてしまつたくらゐの山奥でした。 それに、あんまり山が 「じつにぼくは、二千四百円の損害だ」と一人の紳士が、その犬の 「ぼくは二千八百円の損害だ。」と、もひとりが、くやしさうに、あたまをまげて言ひました。 はじめの紳士は、すこし顔いろを悪くして、じつと、もひとりの紳士の、顔つきを見ながら云ひました。 「ぼくはもう戻らうとおもふ。」 「さあ、ぼくもちやうど寒くはなつたし腹は 「そいぢや、これで切りあげやう。なあに戻りに、昨日の宿屋で、山鳥を拾円も買つて帰ればいゝ。」 「 ところがどうも困つたことは、どつちへ行けば戻れるのか、いつかう見当がつかなくなつてゐました。 風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。 「どうも腹が空いた。さつきから横つ腹が痛くてたまらないんだ。」 「ぼくもさうだ。もうあんまりあるきたくないな。」 「あるきたくないよ。あゝ困つたなあ、何かたべたいなあ。」 「喰べたいもんだなあ」 二人の紳士は、ざわざわ鳴るすゝきの中で、こんなことを云ひました。 その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。 そして玄関には
RESTAURANT
といふ札がでてゐました。西洋料理店 WILDCAT HOUSE 山猫軒 「君、ちやうどいゝ。こゝはこれでなかなか開けてるんだ。入らうぢやないか」 「おや、こんなとこにをかしいね。しかしとにかく何か食事ができるんだらう」 「もちろんできるさ。看板にさう書いてあるぢやないか」 「はいらうぢやないか。ぼくはもう何か喰べたくて倒れさうなんだ。」 二人は玄関に立ちました。玄関は白い瀬戸の そして
「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」
二人はそこで、ひどくよろこんで言ひました。「こいつはどうだ、やつぱり世の中はうまくできてるねえ、けふ一日なんぎしたけれど、こんどはこんないゝこともある。このうちは料理店だけれどもたゞでご 「どうもさうらしい。決してご遠慮はありませんといふのはその意味だ。」 二人は戸を押して、なかへ入りました。そこはすぐ廊下になつてゐました。その硝子戸の裏側には、金文字でかうなつてゐました。
「ことに
二人は大歓迎といふので、もう大よろこびです。「君、ぼくらは大歓迎にあたつてゐるのだ。」 「ぼくらは両方兼ねてるから」 ずんずん廊下を進んで行きますと、こんどは水いろのペンキ塗りの 「どうも変な 「これはロシア式だ。寒いとこや山の中はみんなかうさ。」 そして二人はその扉をあけようとしますと、上に黄いろな字でかう書いてありました。
「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」
「なかなかはやつてるんだ。こんな山の中で。」「それあさうだ。見たまへ、東京の大きな料理屋だつて大通りにはすくないだらう」 二人は云ひながら、その扉をあけました。するとその裏側に、
「注文はずゐぶん多いでせうがどうか一々こらえて下さい。」
「これはぜんたいどういふんだ。」ひとりの紳士は顔をしかめました。「うん、これはきつと注文があまり多くて支度が手間取るけれどもごめん下さいと 「さうだらう。早くどこか 「そしてテーブルに座りたいもんだな。」 ところがどうもうるさいことは、また 扉には赤い字で、
「お客さまがた、こゝで髪をきちんとして、それからはきもの
と書いてありました。の泥を落してください。」 「これはどうも 「作法の厳しい そこで二人は、きれいに髪をけづつて、靴の泥を落しました。 そしたら、どうです。ブラシを板の上に置くや否や、そいつがぼうつとかすんで無くなつて、風がどうつと室の中に入つてきました。 二人はびつくりして、互によりそつて、扉をがたんと開けて、次の室へ入つて行きました。早く何か暖いものでもたべて、元気をつけて置かないと、もう途方もないことになつてしまふと、二人とも思つたのでした。 扉の内側に、また変なことが書いてありました。
「鉄砲と
見るとすぐ横に黒い台がありました。「なるほど、鉄砲を持つてものを食ふといふ法はない。」 「いや、よほど偉いひとが始終来てゐるんだ。」 二人は鉄砲をはづし、帯皮を解いて、それを台の上に置きました。 また黒い扉がありました。
「どうか帽子と
「どうだ、とるか。」「仕方ない、とらう。たしかによつぽどえらいひとなんだ。奥に来てゐるのは」 二人は帽子とオーバコートを 扉の裏側には、
「ネクタイピン、カフスボタン、
と書いてありました。扉のすぐ横には黒塗りの立派な金庫も、ちやんと口を開けて置いてありました。ことに 「はゝあ、何かの料理に電気をつかふと見えるね。 「さうだらう。して見ると勘定は帰りにこゝで払ふのだらうか。」 「どうもさうらしい。」 「さうだ。きつと。」 二人はめがねをはづしたり、カフスボタンをとつたり、みんな金庫の中に入れて、ぱちんと錠をかけました。 すこし行きますとまた
「壺のなかのクリームを顔や手足にすつかり塗つてください。」
みるとたしかに壺のなかのものは牛乳のクリームでした。「クリームをぬれといふのはどういふんだ。」 「これはね、外がひじやうに寒いだらう。 二人は壺のクリームを、顔に塗つて手に塗つてそれから靴下をぬいで足に塗りました。それでもまだ残つてゐましたから、それは二人ともめいめいこつそり顔へ塗るふりをしながら喰べました。 それから大急ぎで扉をあけますと、その裏側には、
「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか、」
と書いてあつて、ちひさなクリームの壺がこゝにも置いてありました。「さうさう、ぼくは耳には塗らなかつた。あぶなく耳にひゞを切らすとこだつた。こゝの主人はじつに用意周到だね。」 「あゝ、細かいとこまでよく気がつくよ。ところでぼくは早く何か喰べたいんだが、どうも するとすぐその前に次の戸がありました。
「料理はもうすぐできます。
そして戸の前には金ピカの香水の瓶が置いてありました。十五分とお待たせはいたしません。 すぐたべられます。 早くあなたの頭に 二人はその香水を、頭へぱちやぱちや振りかけました。 ところがその香水は、どうも酢のやうな 「この香水はへんに酢くさい。どうしたんだらう。」 「まちがへたんだ。下女が 二人は扉をあけて中にはひりました。 扉の裏側には、大きな字で斯う書いてありました。
「いろいろ注文が多くてうるさかつたでせう。お気の毒でした。
なるほど立派な青い瀬戸の塩壺は置いてありましたが、こんどといふこんどは二人ともぎよつとしてお互にクリームをたくさん塗つた顔を見合せました。もうこれだけです。どうかからだ中に、 んよくもみ込んでください。」 「どうもをかしいぜ。」 「ぼくもをかしいとおもふ。」 「沢山の注文といふのは、向ふがこつちへ注文してるんだよ。」 「だからさ、西洋料理店といふのは、ぼくの考へるところでは、西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる 「その、ぼ、ぼくらが、……うわあ。」がたがたがたがたふるへだして、もうものが言へませんでした。 「 奥の方にはまだ一枚扉があつて、大きなかぎ穴が二つつき、銀いろのホークとナイフの形が切りだしてあつて、
「いや、わざわざご苦労です。
と書いてありました。おまけにかぎ穴からはきよろきよろ二つの青い大へん結構にできました。 さあさあおなかにおはひりください。」 「うわあ。」がたがたがたがた。 「うわあ。」がたがたがたがた。 ふたりは泣き出しました。 すると戸の中では、こそこそこんなことを云つてゐます。 「だめだよ。もう気がついたよ。塩をもみこまないやうだよ。」 「あたりまへさ。親分の書きやうがまづいんだ。あすこへ、いろいろ注文が多くてうるさかつたでせう、お気の毒でしたなんて、間抜けたことを書いたもんだ。」 「どつちでもいゝよ。どうせぼくらには、骨も分けて 「それはさうだ。けれどももしこゝへあいつらがはひつて来なかつたら、それはぼくらの責任だぜ。」 「呼ばうか、呼ばう。おい、お客さん方、早くいらつしやい。いらつしやい。いらつしやい。お 「へい、いらつしやい、いらつしやい。それともサラドはお嫌ひですか。そんならこれから火を起してフライにしてあげませうか。とにかくはやくいらつしやい。」 二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしやくしやの 中ではふつふつとわらつてまた叫んでゐます。 「いらつしやい、いらつしやい。そんなに泣いては折角のクリームが流れるぢやありませんか。へい、たゞいま。ぢきもつてまゐります。さあ、早くいらつしやい。」 「早くいらつしやい。親方がもうナフキンをかけて、ナイフをもつて、舌なめずりして、お客さま方を待つてゐられます。」 二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました。 そのときうしろからいきなり、 「わん、わん、ぐわあ。」といふ声がして、あの 「わん。」と高く その扉の向ふのまつくらやみのなかで、 「にやあお、くわあ、ごろごろ。」といふ声がして、それからがさがさ鳴りました。 室はけむりのやうに消え、二人は寒さにぶるぶるふるへて、草の中に立つてゐました。 見ると、上着や靴や財布やネクタイピンは、あつちの枝にぶらさがつたり、こつちの根もとにちらばつたりしてゐます。風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。 犬がふうとうなつて戻つてきました。 そしてうしろからは、 「 二人は 「おゝい、おゝい、こゝだぞ、早く来い。」と叫びました。 そこで二人はやつと安心しました。 そして猟師のもつてきた団子をたべ、途中で十円だけ山鳥を買つて東京に帰りました。 しかし、さつき一ぺん紙くづのやうになつた二人の顔だけは、東京に帰つても、お湯にはひつても、もうもとのとほりになほりませんでした。 底本:「宮沢賢治全集8」ちくま文庫、筑摩書房 1986(昭和61)年1月28日第1刷発行 2004(平成16)年4月25日第20刷発行 初出:「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」盛岡市杜陵出版部・東京光原社 1924(大正13)年12月1日 入力:土屋隆 校正:noriko saito 2005年2月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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