黄いろのトマト
宮沢賢治
博物局十六等官
キュステ誌
私の町の博物館の、大きなガラスの 生きてたときはミィミィとなき 小さいときのことですが、ある朝早く、私は学校に行く前にこっそり 「お早う。ペムペルという子はほんとうにいい子だったのにかあいそうなことをした。」 その時窓にはまだ厚い茶いろのカーテンが引いてありましたので 「お早う。蜂雀。ペムペルという人がどうしたっての。」 蜂雀がガラスの向うで 「ええお早うよ。妹のネリという子もほんとうにかあいらしいいい子だったのにかあいそうだなあ。」 「どうしたていうの話しておくれ。」 すると蜂雀はちょっと口あいてわらうようにしてまた云いました。 「話してあげるからおまえは 私は本の入ったかばんの上に座るのは一寸困りましたけれどもどうしてもそのお話を聞きたかったのでとうとうその通りしました。 すると蜂雀は話しました。 「ペムペルとネリは毎日お父さんやお母さんたちの働くそばで遊んでいたよ〔以下原稿一枚?なし〕 その時 『さようなら。さようなら。』と云ってペムペルのうちのきれいな木や花の間からまっすぐにおうちにかえった。 それから 二人で小麦を粉にするときは僕はいつでも見に行った。小麦を粉にする日ならペムペルはちぢれた そのときぼくはネリちゃん。あなたはむぐらはすきですかとからかったりして飛んだのだ。それからもちろんキャベジも植えた。 二人がキャベジを ペムペルがキャベジの太い根を そして二人はたった二人だけずいぶんたのしくくらしていた。」 「おとなはそこらに居なかったの。」わたしはふと思い付いてそうたずねました。 「おとなはすこしもそこらあたりに居なかった。なぜならペムペルとネリの けれどほんとうにかあいそうだ。 ペムペルという子は全くいい子だったのにかあいそうなことをした。 ネリという子は全くかあいらしい女の子だったのにかあいそうなことをした。」 蜂雀は 私はもう全く気が気でありませんでした。 蜂雀はいよいよだまってガラスの向うでしんとしています。 私もしばらくは 「ね、蜂雀、そのペムペルとネリちゃんとがそれから一体どうなったの、どうしたって云うの、ね、蜂雀、話してお けれども蜂雀はやっぱりじっとその細いくちばしを 「ね、蜂雀、 ね。談してお呉れ。そら、さっきの続きをさ。どうして話して呉れないの。」 ガラスは私の息ですっかり 四羽の美しい蜂雀さえまるでぼんやり見えたのです。私はとうとう泣きだしました。 なぜって第一あの美しい蜂雀がたった今まできれいな銀の糸のような声で私と話をしていたのに俄かに すると俄かに私の右の 「どうしてそんなに泣いて居るの。おなかでも痛いのかい。朝早くから鳥のガラスの前に来てそんなにひどく泣くもんでない。」 けれども私はどうしてもまだ泣きやむことができませんでした。おじいさんは又云いました。 「そんなに高く泣いちゃいけない。 まだ入口を開けるに一時間半も間があるのにおまえだけそっと入れてやったのだ。 それにそんなに高く泣いて表の方へ聞えたらみんな私に故障を云って来るんでないか。そんなに泣いていけないよ。どうしてそんなに泣いてんだ。」 私はやっと云いました。 「だって蜂雀がもう私に話さないんだもの。」 するとじいさんは高く笑いました。 「ああ、蜂雀が又おまえに何か話したね。そして俄かに 番人のおじいさんはガラスの前に進みました。 「おい。蜂雀。今日で何度目だと思う。手帳へつけるよ。つけるよ。あんまりいけなけあ仕方ないから館長様へ申し上げてアイスランドへ送っちまうよ。 ええおい。さあ お話がすんだら早く学校へ入らっしゃい。 あんまり長くなって 番人のおじいさんは私の涙を おじいさんのあし音がそのうすくらい茶色の 私はどきっとしたのです。 蜂雀は細い細いハアモニカの様な声でそっと私にはなしかけました。 「さっきはごめんなさい。僕すっかり 私もやさしく言いました。 「蜂雀。僕ちっとも 蜂雀は語りはじめました。 「ペムペルとネリとはそれはほんとうにかあいいんだ。二人が青ガラスのうちの中に居て窓をすっかりしめてると二人は海の底に居るように見えた。そして二人の声は僕には聞えやしないね。 それは非常に厚いガラスなんだから。 けれども二人が一つの大きな帳面をのぞきこんで一所に同じように口をあいたり少し閉じたりしているのを見るとあれは ネリも全くかあいらしい女の子だったのにかあいそうなことをした。」 「だからどうしたって云うの。」 「だからね、二人はほんとうにおもしろくくらしていたのだから、それだけならばよかったんだ。ところが二人は、はたけにトマトを十本植えていた。そのうち五本がポンデローザでね、五本がレッドチェリイだよ。ポンデローザにはまっ赤な大きな実がつくし、レッドチェリーにはさくらんぼほどの赤い実がまるでたくさんできる。ぼくはトマトは食べないけれど、ポンデローザを見ることならもうほんとうにすきなんだ。ある年やっぱり そしてまもなく実がついた。 ところが五本のチェリーの中で、一本だけは 『にいさま、あのトマトどうしてあんなに光るんでしょうね。』 ペムペルは 『 『まあ、あれ黄金なの。』ネリがすこしびっくりしたように云った。 『立派だねえ。』 『ええ立派だわ。』 そして二人はもちろん、その黄いろなトマトをとりもしなけぁ、 そしたらほんとうにかあいそうなことをしたねえ。」 「だからどうしたって云うの。」 「だからね、二人はこんなに楽しくくらしていたんだからそれだけならばよかったんだよ。ところがある夕方二人が 『ね、行って見ようよ、あんなにいい音がするんだもの。』 ネリは 『行きましょう、兄さま、すぐ行きましょう。』 『うん、すぐ行こう。 そこで二人は手をつないで果樹園を出てどんどんそっちへ走って行った。 音はよっぽど遠かった。 それでもいくらか近くはなった。 二人が二本の そこで二人は元気を出して上着の そのうち音はもっとはっきりして来たのだ。ひょろひょろした 『ネリ、もう少しだよ、しっかり ネリはだまってきれで包んだ小さな卵形の頭を振って、唇を 二人がも一度、樺の木の生えた 間もなくそれは近づいたのだ。ペムペルとネリとは、手をにぎり合って、息をこらしてそれを見た。 もちろん僕もそれを見た。 やって来たのは七人ばかりの馬乗りなのだ。 馬は汗をかいて黒く光り、鼻からふうふう息をつき、しずかにだくをやっていた。乗ってるものはみな赤シャツで、てかてか光る おとなはみんなペムペルとネリなどは見ない風して行ったけれど、いちばんしまいのあのかあいい子は、ペムペルを見て そしてみんなは通り過ぎたのだ。みんなの行った方から、あのいい音がいよいよはっきり聞えて来た。まもなくみんなは向うの丘をまわって見えなくなったが、左の方から それは小さな家ぐらいある白い四角の ペムペルとネリとは、黒人はほんとうに 『ついて行こうか。』 『ええ、行きましょう。』と、まるでかすれた声で云ったのだ。そして二人はよほど遠くからついて行った。 黒人たちは、時々何かわからないことを 二人はいよいよ そのうちお日さまは、変に赤くどんよりなって、西の方の山に入ってしまい、残りの空は黄いろに光り、草はだんだん青から黒く見えて来た。 さっきからの音がいよいよ近くなり、すぐ向うの丘のかげでは、さっきのらしい馬のひんひん 四角な家の生物が、脚を百ぺん上げたり下げたりしたら、ペムペルとネリとはびっくりして眼を おとなや女や子供らが、その草はらにたくさん集って看板を見上げていた。 看板のうしろからは、さっきの音が けれどもあんまり近くで聞くと、そんなにすてきな音じゃない。 ただの楽隊だったんだい。 ただその音が、野原を通って行く 白い四角な家も、ゆっくりゆっくり中へはいって行ってしまった。 中では何かが細い高い声でないた。 人はだんだん増えて来た。 楽隊はまるで馬鹿のように盛んにやった。 みんなは吸いこまれるように、三人五人ずつ中へはいって行ったのだ。 ペムペルとネリとは息をこらして、じっとそれを見た。 『僕たちも入ってこうか。』ペムペルが胸をどきどきさせながら云った。 『入りましょう』とネリも答えた。 けれども何だか二人とも、安心にならなかったのだ。どうもみんなが入口で何か番人に ペムペルは少し近くへ寄って、じっとそれを見た。食い付くように見ていたよ。 そしたらそれはたしかに銀か 黄金をだせば銀のかけらを返してよこす。 そしてその人は入って行く。 だからペムペルも黄金をポケットにさがしたのだ。 『ネリ、お前はここに待っといで。僕 『わたしも行くわ。』ネリは云ったけれども、ペムペルはもうかけ出したので、ネリは心配そうに半分泣くようにして、又看板を見ていたよ。 それから僕は心配だから、ネリの処に番しようか、ペムペルについて行こうか、ずいぶんしばらく考えたけれども、いくらそこらを飛んで見ても、みんな看板ばかり見ていて、ネリをさらって行きそうな悪漢は一人も居ないんだ。 そこで安心して、ペムペルについて飛んで行った。 ペムペルはそれはひどく走ったよ。四日のお月さんが、西のそらにしずかにかかっていたけれど、そのぼんやりした青じろい光で、どんどんどんどんペムペルはかけた。僕は追いつくのがほんとうに それからとうとうあの果樹園にはいったのだ。 ガラスのお家が月のあかりで大へんなつかしく光っていた。ペムペルは一寸立ちどまってそれを見たけれども、又走ってもうまっ黒に見えているトマトの木から、あの黄いろの実のなるトマトの木から、黄いろのトマトの実を四つとった。それからまるで風のよう、あらしのように汗と ネリはちらちらこっちの方を見てばかりいた。 けれどもペムペルは、 『さあ、いいよ。入ろう。』 とネリに云った。 ネリは 番人は『ええ、いらっしゃい。』と言いながら、トマトを受けとり、それから変な顔をした。 しばらくそれを見つめていた。 それから 『何だ。この そしてトマトを投げつけた。あの黄のトマトをなげつけたんだ。その一つはひどくネリの耳にあたり、ネリはわっと泣き出し、みんなはどっと笑ったんだ。ペムペルはすばやくネリをさらうように みんなの笑い声が波のように聞えた。 まっくらな丘の間まで遁げて来たとき、ペムペルも俄かに高く泣き出した。ああいうかなしいことを、お前はきっと知らないよ。 それから二人はだまってだまってときどきしくりあげながら、ひるの象について来たみちを それからペムペルは、にぎりこぶしを握りながら、ネリは時々 私も大へんかなしくなって 「じゃ蜂雀。さようなら。僕又来るよ。けれどお前が何か云いたかったら云ってお と云いながら、 私のまだまるで小さかったときのことです。 底本:「新編 銀河鉄道の夜」新潮文庫、新潮社 1989(平成元)年6月15日発行 1994(平成6)年6月5日13刷 入力:土屋隆 校正:noriko saito 2005年3月17日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 ●表記について
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