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バスクに行ってきました-#7。

バスク旅行-#7 10月24日。

 前日,ビアリッツこのホテルに着いたときに,ここにツアーバスで来るのは場違いだなと思った。とてもいいホテルで,入り口のゲートは,バスには狭すぎた。このホテルにツアーバスでやってきて,1日か2日くらいしか泊まらないのは,日本人くらいのものなんだろう。まぁ,それが日本人のツアースタイルというものだ。彼らとしては,好むと好まざるとにかかわらず,受け入れざるを得なかったということだろう。

 この日は,初めにバイヨンヌアトリエ・デュ・ショコラの工場を訪問して,いろんな種類のチョコレートを試食した。残念ながら,実際の工程はあまり見ることが出来なかった。お土産にしようと思って,いろんなチョコレートを買った。味見したときに唐辛子チョコレートがあって,面白いと思ったので,これをお土産のひとつにした……つもりだったら,実際は唐辛子キャラメルを買っていた。失敗!!

 このあと,バスでバスク博物館に向かい,そこから,対岸のサント・マリー大聖堂に行くために,ニーヴ川の橋を歩いて渡った。大聖堂は壮大な,しかしなんと言うか,つぎはぎの建物で,上部は石灰岩,下部は砂岩で作られていた。

 この後,部屋にいたとき,メイドがターンダウン・サービスにやってきた。多分,ドアベルを鳴らしたんだと思うが,バスルームにいたせいか,はっきり聞こえなかった。で,返事しなかった訳だが,彼女は鍵を開けて勝手に入ってきた。部屋には,「Don’t disturb」の札もかけていなかったから,多分留守だと思ったんだろうが。このサービスのことを知らなかったので,勝手に入ってきたメイドを見て,びっくり仰天した。あとで聞いたところによると,このクラスのホテルだと,ターンダウンサービスは,基本サービスの一つだそうだ。だから,「いらない」と断られない限り,メイドはそれをしなくてはいけないわけで,彼女は職務に忠実だったということだ。前の日は,チェックインが遅かったので,ターンダウンの時間は終わっていた。何しろこんないいホテルに泊まったことがないから,いろいろと,初体験もある(^_^;)。

 バスク最後の食事は,L’Atelierという小さなレストランで取った。彼らの料理は nouvelle cuisine という感じがした。

 翌日は,日本へ向けて発つ予定。

 というわけで,今しばし,お付き合いを。

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山の紅葉。

 行きたい行きたいと思っていた紅葉狩,行ってきました。もう遅いかなと思ったのですが,まだまだきれいでした。いつもは奉幣殿までしか行かないことが多いので,久しぶりに高住神社まで足を延ばしてきました。

 あまり出来のよくない写真ですが,紅葉はきれいでしょう(爆)。





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バスクに行ってきました-#6。

バスク旅行-#6 10月23日。
 オンダリビアはいい天気だった。ホテルの前の坂を下って,バスに歩いて行った。途中で,市庁舎サンタマリア門を見たが,門を抜けてすぐ,また,立像があった。兵士だというのだが,エプロンをかけて鋸を持っていた(スライドショーの0:46を参照)。なんでと思ったのだが,工兵ということらしかった。町のお祭りでは,この兵士のような扮装をする人もいるということだった。

 この日は,登山鉄道ラ・リューヌ山頂に行くことになっていた。1924年に開通したラックレールの単線の電車である。途中で,電車からポトックという小型の馬を見た。山頂も晴れていて,フランス・スペイン両方のバスクの素晴らしい景色を見ることができた。

 下山電車を待っていたとき,老婦人が私に「その帽子どこで買ったの」と聞いてきた。私は,フランス語が分からないし,彼女は日・英どちらも分からなかった。にもかかわらず,言ってることが分かったとは,不思議な話だね!! (^o^)

 サールという小さな美しい村を訪問した後,ITHURRIAで昼食を取った。料理はどれもよかったけど,特に,バスク豚が気に入った。とてもおいしかった。昼食後,エスプレットで,有名なエスプレットの唐辛子を,2袋買った。サン・ジャン・ド・リュズでは,ラベルの生家やサン・ジャン・バプティスト教会などを見た。地図を持ってサン・ジャン・ド・リュズの街をうろうろしていたら,老婦人が近づいてきて,道を教えてくれた。彼女もまた,フランス語しかわからなかった。でも,やはり話は通じた。不思議な話パート2だった。 (^o^)(^o^)

 フランスバスクに入ってから,白壁・赤い縁取りの家が多くなった。伝統的なスタイルらしい。昔は,強い日光と虫除けのために,白には石灰を赤には牛の血を使ったということだったけど,今は何を使っているんだろう。

 この日のガイドは一昨日と同じだった。彼女に疑問に思っていたことを聞いてみた。
 「車検みたいな制度があるんですか。」というのが,バスク自治州 (スペインのバスク)で見た車が,どれもきれいだったからだ。国外に出ると結構ポンコツが走っている。彼女の返事は,車を買ったときに届けをして,4年後に車の状態の検査を受けて,さらに2年後に検査を受けて,その後は毎年検査を受けなければいけないということだった。彼女の答えで,ポンコツがないのが当たり前だと納得が行った私であった。

 この日のホテルは,ビアリッツデュ・パレだった。とてーもいいホテルだった。

 もう少し,続きます。

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Windows

覚え書-#12。

 「本家のお世話-#20。」のところで,phpMyAdminのconfファイルを作り,Apacheのconf/extraに追加して使う話を書いた。これが出来るんなら,ほかのことも可能なはずとふと思った。実際,awstatsについては,もともともconfの雛形がzipに入っていて,同じようなことをしている。
 で,頭の中にあったのはなんについてかというと,PHPについてなのだ。ちょっと,設定ファイルを読んでみたが,特に問題はなさそう。というわけで,php54.confという名前で作ってみた。

 「本家のお世話-#28。」を見てもらえばわかるが,バラバラにソフトをインストールして,WAMP系サーバを建てるに当たって,オリジナルのhttpd.confにいろいろ付け加えたりしているのは,PHPだけなのだ。他のは,付け加えではなくアンコメントしたり,デフォを書き直したりしているに過ぎない。だから,これをextra-confにしてしまえば,分かりやすく,管理しやすくなるだろってこと。

 php54.confに書いたのは,以下の3行。
     LoadModule php5_module “C:/PHP/php5apache2_4.dll”
     AddHandler application/x-httpd-php .php
     PHPIniDir “C:/PHP”

 もちろん,httpd.confの
     LoadModule php5_module “c:/php/php5apache2_4.dll”

     <IfModule mod_php5.c>
       AddHandler application/x-httpd-php .php
       PHPIniDir “C:/PHP”
     </IfModule>
については,コメントアウトし,Supplemental configurationの区画の末尾に以下の2行を付け加える。
     # PHP settings
     Include conf/extra/php54.conf

 ApacheをRestartする。うまくいった。ちゃんと使える。

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WordPress

覚え書-#11。

 子テーマの話。
 「o6asan’s netradi」をリニューアルして名前を付け替えたときに,テーマも変更した。で,このときにPink Touch 2というのをカスタマイズして使ったのだが,初めて子テーマの機能を利用した。
 「子テーマ」を見に行ったら,「原文が頻繁に更新されており、情報が古くなっている可能性があります。最新版(英語)も合わせてご覧ください。」と書いてあったので,そっちの方を参考に子テーマを作った。その話を書いていなかったので,思い出したときに書いておこうと思う。

 ところで,その話に入る前に!! 昨日改めて,最新版(英語)を見ていて,「Note on RTL support」というのに気付いた。Pink Touch 2にはrtl.cssがあったから,よく文章も読まずに, @import url("../pink-touch-2/rtl.css");  を入れてみたら,アラビア語みたいに右からの横書きになるのだね。ハハハ,rtl=right-to-leftだから当然でした。なのに,焦りまくりました(大笑い)。

 それはさておき,子テーマの話。

  1. 子テーマ用のフォルダを作る。
    場所は他のテーマと同じようにデフォルトのthemesフォルダの中。
    子テーマのフォルダ名は「親テーマのフォルダ名-child」。
    「o6asan’s netradi」の場合,pink-touch-2-child
  2. pink-touch-2-childの中に子テーマのカスタマイズファイルを入れる。
     指定可能なのは,以下の通りだが,「o6asan’s netradi」で実際に作ったのは最低限のstyle.cssだけ。

    1. style.css (必須)
    2. functions.php (任意)
    3. Template files (任意)
    4. Other files (任意)
  3. style.cssの中は以下の通り。
    /*
    Theme Name: Pink Touch 2 Child
    Template: pink-touch-2
    */

    @import url("../pink-touch-2/style.css");

    #header {
    margin: 0px auto 0px;
    min-height: 0px;
    padding: 20px 0 77px;
    position: relative;
    text-align: center;
    width: 690px;
    }

    一番上の/*~*/が子テーマ独自のヘッダーで,ここでどの親テーマに依存しているかが宣言される。で,定義可能な各行の説明を書くと,

    • Theme Name. (必須) 子テーマの名前.
    • Theme URI. (任意) 子テーマのサイト
    • Description. (任意) このテーマの説明 例:初めての子テーマ。万歳!
    • Author URI. (任意) 作者のサイト
    • Author. (任意) 作者名
    • Template. (必須) 親テーマのディレクトリ名。大文字小文字が区別される。
      • . You have to switch to a different theme and back to the child theme when you modify this line.
        これがよくわからない。「テンプレートのディレクトリを変えたときは,違うテーマに切り替えたのち,子テーマを弄りなさい」というようにとれるが,それだと当たり前すぎて注に書く必要がないような気がする……ウーム
    • Version. (任意) 子テーマのバージョン 例: 0.1, 1.0, など

    で,見ての通り,「o6asan’s netradi」の場合,必須の2行しか書いていない。

    あと,
    @import url("../pink-touch-2/style.css");
    は当然ながら主な部分のスタイルは全て親テーマのを利用させてもらうので,インポートするってこと。#headerだけを独自スタイルにするから,これを書く。完全に独自スタイルにするならば,インポートせずに自分が望むスタイルをここに書けばいいということだ。

  4. 後は,ダッシュボードのメニューからテーマを切り替えて普通どおり使えばいいことになる。これで,親テーマのバージョンアップがあっても,大丈夫。

 実際の話,この話を思い出したのは,Pink Touch 2のバージョンアップがあったからなのだ(爆)。

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鹿に会っちゃった。

 前にも書いたけど,最近よく泳ぎに行く。で,そのときに狭い山道を通らなくちゃいけない。今日の夜-6時15分ごろだと思うが,もう暗いので夜という感じ―この道で鹿に会った。ライトに浮かび上がったとき,危うく轢くところだった。カーブでスピードを落としていたのが幸いしたが。この山道では,タヌキやイタチには結構よく会うが,鹿は初めてである。イタチは,猫と同じように走るものの前を横切る習性のせいだと思うが,かわいそうに,よく轢き殺されている。しかし,鹿となると話が違う。もし,ぶつけていたら,車が壊れる可能性もある。泳ぎに行くときは,携帯を持っていかないし,お金もほとんど持っていない。おまけに,山道で家もないところだ。事故ってたらと思ったらゾッとした。

 鹿くん,お願いだから気をつけてね。それが君だけでなく私も守ることになるんだから。(^^;)

 話は変わるが,友人のパソコンがネットサーフ中にワンクリック・ウェアに感染した。ネットワークから切り離して,PCを調べてみたら,mshta.exeとHTAを悪用するマルウェアが見つかった。5分間隔くらいでポップアップウィンドウが出る。当たり前だが,絶対にリカバリするようにすすめた。
 それはそれとして,リカバリの前に,データの救出をしないといけない。が,何しろポップアップがうざいので,これを止めることにした。タスクスケジューラのエントリを削除して,msconfigのスタートアップを無効にしたら,ポップアップは止まった。しかし,PCが安全になったかどうか誰に分かるだろう。感染したのが見つかったのだけという保証はどこにもないからねえ。

 みなさん,サーフィンには気をつけようね!!

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バスクに行ってきました-#5。

バスク旅行-#5 10月22日。
 この朝,すっかり生まれ変わったように感じた(笑)。サン・セバスティアンを発つ前に,ホテルの周りを散歩し,何枚か写真を撮った。

 この日は,サラウツの「Talai-Berri」というチャコリ・ワイナリーを訪問する予定で,楽しみだった。

 正直なところ,アルコール,ノンアルコールを問わず炭酸飲料は苦手なのだが,前日の夕食時,チャコリを一杯飲んだときに炭酸がすごく弱くて,気に入ったのだ。そのときに,給仕がチャコリに空気を混ぜるために高いところから注ぐパフォーマンスも見た。
 
 「Talai-Berri」ワイナリーでは,すべての種類を試飲させてもらった。どれもおいしかったし,値段も高くなかった。買わなかったけど(爆)。オーナーのひとりが案内してくれたのだが,「今のチャコリは作るときから管理が行き届いているので,高いところから注ぐ必要はないんです」と言っていた。ということは,前日のパフォーマンスは観光客用ということになるな。

 しかし,スペインの人というのはなんにでもオリーブオイルを使うね。日本人はなんにでも醤油を使うと言われそうだけど。オリーブオイルをつけたチーズとかパンとかソーセージとか,などなど。なにしろ,料理というのではなく,ちょっと切ったのにつけるという感じなのだ。

 昼食はゲタリアの海辺のレストラン。ものすごく大きいカレイの塩焼きが出た。これも,オリーブオイルに浸っていたけど。日本だったら4人分になりそうなのが,2人分だった。

 この日のホテル「Parador de Hondarribia」には,4時ごろチェックインした。ホテルは丘の上にあって,表側は長い坂になっているのだが,裏は一種のがけで,丘の上に用のある人を運び上げる公共エレベーターがあった。

 この日は,この旅行で初めて夕方のフリータイムに散歩に行った。レガッタの人形を見つけて買った(スライドショーの6:15を参照)。かわいいでしょ。レガッタはスペインでとても人気があるんだそうだ。オンダリビアでは,選手の家は,緑の横断幕がベランダに掲げられていた。今年のオンダリビアチームは2位に終わって,みんな悔しがったんだそうだ。

 やっと,3分の2くらいですので,まだ続きます(汗)。

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SpyEye(スパイアイ)の話。

 11月に入ってから,取引先の銀行からこんなのやこんなのが来ていた。どちらも似たような内容だ。

 こういうものは珍しくないがと思っていたら,今朝,朝日にこんな記事が載っていた。

 特に,後半についてさもありなんと思った。まあ,私自身,プラグインの日本語化ファイルを作ったりしていて,それが簡単に作れることに感動しているわけで,そういうものを悪用する人間も当然現れるだろうということだ。

 便利になっていいことが増えれば,それを利用して悪いことをする人間も増えるわけで,いっそう気をつけなければいけないということだ。スパイアイ対策については,ちょっと古い記事だけれども,いつもながらSo-netの記事をリンクさせておいてもらおうと思う。

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バスクに行ってきました-#4。

バスク旅行-#4 10月21日。
 朝,8時くらいになってもまだ暗いのに驚きましたが,冷静に考えると,サン・セバスティアンは,若干ですけど,札幌より北になるんです。その上,スペインは10月までサマータイムですから,当然かもしれません。

 残念なことに,21日は日曜日で市場や観光客相手以外の多くの店が,お休みでした。まあ,しかし,日曜日だから見れたのかなと思うものもありました。市民マラソンだとか,いまだに男性会員だけの旧市街の美食倶楽部で,晩餐の支度をしている会員たちとか。

 ところで,だんだん元気になってきてまして,フリータイムにバルに行って,ピンチョスを食べたり,昼食・夕食ごとにチャコリや他のワインを楽しんだりする余裕が出てきました。バスクは水が豊富で,水道の水ですら結構おいしかったんですが,それでも,ワインは安くておいしかったです。チャコリなんて,有名な工場のフルボトルでも,700円くらいでした。お土産には重いので,買いませんでしたが。

 で,ようやく元気になったこの日は,少し写真も増えました。それで,スライドショーも前日までより,少し長くなっています。(汗)

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バスクに行ってきました-#3。

バスク旅行-#3 さて,10月20日です。
 サン・フェルミン祭で有名なパンプローナの旧市街を観光しました。祭りの名前は知らなくても,毎年けが人の出る牛追いの写真は,ご覧になったことがあるのではないかと思います。祭りで牛を追うルートも歩きました。狭いところも多く,けが人の続出も無理ないと思いました。

 パンプローナは旧い町で,旧市街の周りには,今も高い城壁が残っています。私がおかしみと憐れみを感じた遺物のひとつは,その城壁の上に残っていた武器庫の作りつけのお祈り用の燭台でした。担当官は,中に入る前にお祈りをしたそうです。中には火薬がたくさんあるのに,真っ暗なので彼はろうそくをもって入るしかなかったのです。なんと,気の毒なこと!!毎回,ヒヤヒヤだったでしょう。

 パンプローナは,ヘミングウェイの愛した街としても,有名です。Cafe IRUNA, Gran Hotel La Perlaなども,見て回りました。

 その間中,雨は降り続いていました。パンプローナ辺りは,もともと,雨の多いところだそうです。雨の中を歩きながら,よく傘をさす人たちだなと思っていました。日本以外で,こんなに傘をさす人がいるのを見たのは初めてでした。それに折り畳み傘を持っている人がかなりいて,これも国外ではあまり見かけないことです。「百聞は一見に如かず」。パンプローナは雨の多いところだと,十分,納得しました。 (^_^)

 だいぶ調子がよくなったと思っていたのですが,まだ本調子ではなかったようで,いろんなものを写し損ねました。その上,午後のバスの記憶が吹っ飛んでいます。(;_;)

 まだ,まだ,続きます。乞う,ご期待!!(汗)